建築家・伊東豊雄トークセッション 「日本のこれからのモノづくり 建築×ジュエリー×金属工芸」

【読み物】建築家・伊東豊雄トークセッション 「日本のこれからのモノづくり 建築×ジュエリー×金属工芸」-その2-

読み物

建築家・伊東豊雄トークセッション
「日本のこれからのモノづくり 建築×ジュエリー×金属工芸」その2

-その1- からの続きです)

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2018年4月11日、ジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)主催で開催された建築家伊東豊雄さん、そして金工作家であり、5代目鹿島布目(かしまぬのめ)継承者の鹿島和生さん、JAJ代表の米井で語られたトークセッションの様子を皆さんが読めるように、書き起こしウェブ上に掲載することにしました。
素晴らしい言葉がたくさんあったので、それをここに書き留めておきたいと思います。
これからモノづくりをしていく人たち、特に若い人たちのために、何かの指標になるとことを願っています。
そして、「モノ」が果たす、これからの役割に関して、皆が考えていくことを期待します。

トークセッション登壇者:
建築家 伊東豊雄さん
金工作家 鹿島和生さん
JAJ代表 米井亜紀子

(氏名クリックで登壇者プロフィールへ/以下敬称略)

「ブラジル先住民の椅子」、モノと向かい合うことの大切さ

建築家・伊東豊雄トークセッシ 「日本のこれからのモノづくり 建築×ジュエリー×金属工芸」 ブラジルの先住民のスツール

今度は、6月の末から庭園美術館で開催される「ブラジル先住民の椅子-野生動物と想像力」の仕事についてです。ブラジルの先住民のスツールの展覧会です。
その展示のデザインを頼まれているのですが、この椅子がすばらしいのです。
先日ブラジルに行って見て来ましたので、紹介したいと思います。
インディオが一本の丸太から削り出してつくるスツール。
ブラジルの呪術に使った椅子と部族の長が座った権威としての椅子があります。
92脚のスツールが9月まで展示される予定です。
動物の形をしたものが多いのですが抽象的なものもあります。

今日のテーマは「日本のこれからのモノづくり」ですが、モノと向かい合うことが、現代の東京にいるとだんだん少なくなっています。このままいくと何もモノがない世界で、情報のみと向かい合っている世界になってしまっています。それが人間の感受性をどんどん衰弱させている。僕も大三島に行ったり、地方都市に行ってモノと向かい合うということを大切に、そういう世界を失わないように、頑張らなくてはと思っています。


(ここより3人のトークセッション)

モノと接する社会、土と接する暮らし

米井:
建築以外の伊東さんのお仕事を、これほど紹介していただけるというのは、めったにないことではないかと思います。このためにずいぶん準備をしていただけたようで、お忙しい中ありがとうございます。

今回トークセッションをお願いする前に、伊東さんの「日本語の建築」という本を読ませていただいきました。そこにこうあります、「西洋から入ってきたモダニズム建築を単に採用しているだけでは日本人が建築家として仕事をする意味はありません。
同時に日本の伝統的な建築にとどまっていても、同じようにまったく意味はないのです。
余韻や曖昧さを楽しみながら、自由に振る舞える建築を、どうやったらつくれるのか。
そのことが、ずっと私の建築のテーマなのです。」ということを書いていらっしゃいますね。

(日本語の建築 空間にひらがなの流動感を生む PHP新書より引用)

ジュエリーの分野では、ジュエリーは、西洋をから入ってきたモノと皆さん思っているのですが、実は日本の近代ジュエリーは刀の鍔(つば)などをつくっていた金工、又は簪(かんざし)などの飾り職人が明治時代に入り、仕事を転換したという背景があるのです。
それを知ったとき、私は、ジュエリーでも日本のモノづくりを落とし込むことが可能なのだと感じました。
この「日本語の建築」の中でも、最初に建築が「モノ」だと書いてありますが、実態あるモノと、一方でIT社会のなかで情報だけをやりとりする様なヴァーチャル世界と、どういうところが違うと思いますか。

伊東:
数十年前まで経済は、モノの売り買いで成り立っていたのです。資本主義社会は、世界の果てからでもモノを持って来て、それを売って利潤を得ていたのです。
モノを介してが、この社会と経済の従来の姿であった。
ところがある時点から株の売買のような、ヴァーチャルな情報を売買する方が利益を得る社会になってしまった。
グローバル経済とは一瞬にしてボタン1つで何百万、何千万というお金が入る、また失う。それと同じことが建築の世界でも起こっている。
先ほど話したような、高層の建築になってくると、建築のモノが問題ではなくて、高層ビルの上層階程高く売れるとかね。
本当は人間は地面に接して、自然に接して暮らしているのが理想的なのに・・・。地震になったら大揺れるような、地上何十階というところが、1番高く売れると言われています。要するに、モノから離れていってしまっている。
30階でも40階でも同じで、それはヴァーチャルな空間であるということになってしまう。建築家がヴァーチャルな空間をつくるようになったら、何も僕らはやることがないと思うのです。
もう東京ではやることないかなと地方に行ってみると、まだモノと接する社会があるし、土と接する暮らしがある。そこでは僕らが関われることがまだあると思っています。
大三島に行くと、人は口数も少ないし、なかなか打ち解けてくれないのですが、何か話し始めると、ものすごく表情もいいし東京の人たちの顔とは違いますね。そういう動物的な感受性はやっぱり自然と接していないと生まれてこないものだし、それを失ってしまったら人間だめだなあ、と基本的に思っています。

安心安全な社会はリスクも冒険もない

米井:
最近断舎利などといわれて、モノを持たない、捨てることが流行っていて、モノがいらないと言われています。この風潮をどのように受け止めていますか。

伊東:
最近、車もシェアでいい。アパートもシェアすればいいんだ。若い人たちがそうやって一緒に暮らす傾向があります。
それはそれで否定することではないのだけれど、しかし一方でものすごい経済の格差が生まれてしまって、高級な車に乗っている人に対して車なんていらないよ、シェアすれば充分じゃないかと言う人たちがいます。それはある種の諦めの境地であるような気がします。
あんまり言わない方が良いのかもしれないけれども、なんていうか動物的な欲望が薄れていっている気がします。人間のプリミティブな欲望が失われたら、人間は感受性を失うことになると思う。
こうやって何か政治がおかしいなと思っても誰ひとりデモを起こすわけではなく。「テレビで何かやってるなあ」みたいな感じで終わってしまうという社会っていうのは、アジアの中でも日本だけで、この国はどうなっちゃうんだろう思います。

米井:
管理された、おとなしい飼いならされた人たちになっている。

伊東:
今は安心安全な社会がいいと言う。
オリンピックでは、「東京は安心安全で素晴らしい都市なんだよ」と自慢しているけれども。
安心安全っていう事は「四角い箱にあなたは入っていなさい」と言われてそこにおとなしく入っている。それが一番安心安全だから。つまり、それだけ冒険もない社会でもあるということになる。
安心安全でリスクもない。そういう社会はもう人間としては究極の死を迎えるのに1番近いところにいるような気がします。

米井:
ジュエリーや金工の工芸作品は、普段の生活では、いらないモノですね。では今どういう想いで鹿島さんは金属工芸の作品をつくっていますか。

鹿島:
金属工芸は、歴史的に見ても1番古い隙間産業だと思っています。
日本の場合は長い約260年の鎖国の間に権力者のお抱えで、いいモノをつくればよかった。
明治時代の前は、売れるとか売れないとか考えないで良いモノをつくれば良いという時代が続いいたからこそ、日本はこういう背景で工芸文化というのが発展してきたと思う。西洋にはない形の歴史を持って、今があると思うのです。モノとは、正直言えば機能が満たされていれば、利便性だけ求めていればいいでしょう。
でも、人間というのはそういうものではなくて、そこに自分だけがいいという感覚に幸福感を感じてきた。たとえば、日本は茶道というものがあり、お茶を愛でるとか、そういう歴史的な文化があるのですね。正直、工芸品なんて無くても生活できます。
そういう歴史的文化を大事にしてくれる人たちがいない限りは、いずれは日本の工芸文化は滅びますよね。しかし一方で、今海外から勉強しに来てくれる人たがいて、彼らは日本の工芸技術に対して非常に興味を持って取り組んでいきます。すごいエネルギーで来ます。
自分が生きている間は、国とか民族とかに関係なく、今の時代に貢献できればいいなと思っています。海外の人でもいいので、そういうモノをつくれる人をつないでいきたいと思っています。

象嵌裂地文赤銅花器_2015 鹿島和生

「俺がやってやるよ。俺じゃなきゃできないんだ」という職人が日本の仕事を支えてきた

米井:
今、日本では、モノづくりをする人が非常に減ってきてしまって、私もそれに危機感を持ってこのジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)の活動を始めたのです。

伊東:
伝統工芸に限らず、いわゆる職人と呼ばれる人たちが減っていますよね。我々の建築の世界でも、職人の成り手がいない。それでかなり仕事の質が落ちている。
日本の我々のつくった建築が世界で評価を受けるのは、半分以上は日本の職人の人たちのクオリティによって成り立っていると思います。
宮大工さんとかそういうものすごい技術を継承している大工さんや左官の人などがいますが。そうじゃなくて、型枠をつくってくれるとか配筋をしてくれる配筋工とかどちらかと言うと、稼ぎもそんなに多くないそういう人たちが1番海外と差があるのです。
しかも、たとえば、曲面の屋根をつくろうと思ったら凄く難しい技術で枠をつくらなければいけない。そういう時に日本の型枠の職人というのは「俺がやってやるよ。俺じゃなきゃできないんだ」といってプライドを持って仕事をする。そういう人に救われて僕らの日本の建築は今ある。
アメリカなんかだったら何倍物建設費を出さないとできない。それでもまだうまくできない。外国の人は日本の職人の仕事を見るとこんなに早くてこんな凄い技術ができるのかと驚きます。

米井:
ジュエリー制作も同じで非常に難しい技術と手仕事の集積だと思うのです。
一つ一つに熟練した職人さんがいてそれで出来上がっている。
石留にしても、原型にしても非常に繊細なところていうのがあって、おそらく海外では無理なのだろうなと思う部分も多いのです。
けれど、そういう仕事を担う人たちも減ってきている。工芸の世界ではいかがでしょうか。

鹿島:
先代からの付き合いのある鍛金(たんきん)の作家の方がいるので、自分でデザインした形を鍛金の作家の人に作ってもらっています。
漆で言えば木地師に当たるのが鍛金の人ですね。鍛金の人につくってもらって、そこに(鹿島布目の)加飾をしています。
でもそのいわゆる木地師の人たちも私より年上ですからいつまで続くかわからない。

米井:
職人が減っていることにとても危機を感じています。ジュエリーでも仕事がちゃんとできる職人は最低でも40歳以上になっている。

鹿島:
日本の職人の仕事が優れているという例では、ヨーロッパより日本の通販の方がとクオリティ高いなんてこともありましたよ。
スカンジナビアのジュエリーというけれど、実はつくりはいい加減だったりするのです。
日本のジュエリーのつくりが、海外ブランドよりずっといいと思ったのです。
日本の職人って、勤勉で几帳面できちんとつくる。でも、一方で作家はちょっと抜けている部分があってもいいかなと思いますけど。
ちょっとその辺は違うとは思いますね。手の感じとか、面白さみたいなものがあるべきだと思います。

米井:
今、モノがひとまとまりにされて語られてしまっている気がします。経済優先でつくられた大量生産型消費財としてのモノと、1つずつ人の感覚とか感性や情熱が入っているモノがあって。
モノづくりをした人の感覚や感性情熱が、注ぎ込まれている。そういうモノを生活中に取り入れて、共に生きていくことが、幸福なような気がします。また、先ほど伊東さんがおっしゃった管理された社会の中でも、そういうモノに触れることで「なんだかちょっとおかしいぞ、なにかちがうのでは」のように、人と違う感覚が芽生えると思うのですね。
<次ページにつづく>


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